復興支援事業 ふくしまバトン

人を紡ぐ・いのちを紡ぐ

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福島には「ビッグパレットふくしま(郡山市)」というコンベンション施設があります。コンベンション施設というのは、産業振興のための施設です。例えば車ができると車を並べてモーターショーみたいなことをやったりとか、大バザール大会、あるいは福島美味しいもの市、ラーメンショーとかね。何万人も集まったりするそのイベント会場が避難所になったんです。
ちょうど2011年の8月の末で避難所が閉じられることになって、責任者としてしばらくバタバタしたそんな時、新潟県の山古志という山間の村ですよね、中越地震で大変な被害に遭った、そこの災害を地域で支えていたグループもここに入っていて、「天野さん、再来月、中越地震の7周年だから来たら?」って誘われました。

「行けないよそんなの、見ての通り福島はまだこんな状態で」(2011年の8月の末とか9月の頭はまだまだ本当に大変な状況だった)ビッグパレットふくしまという避難所にいた人は169日間そこで過ごしたんです。約6ヶ月弱ですよね。だから「行けるはずないよ」って、「そうですか…」それからも何度も「7周年の記念事業あるから新潟に来ませんか?」って誘われて「いけないよ、10月でしょ無理だって」と6回断りましたか、7回目には「そこまで言うんだったら…じゃあ行くか」と、たぶん僕の状態がその時は一杯一杯だったので、現場から離した方がいいと思ったんじゃないのかな。

新潟に泊まりで行って、そのときに泉田知事とも今の福島の状況はこうですよっていろいろ話しをしたり、記念事業に参加していたんですが、そこにウェルカムドリンクを配っている山古志のお母さん達もいてね、「福島大変だったよね」って、「私らね…、7年前ね、鯉も全部死んで、牛もたくさん死んでしまって、棚田も全部割れて、家もめちゃめちゃになって、あの地震のせいでこんな風になった。地震が本当に憎いって、災害が憎いってずっと思ってたんよ…」「ところがね、7年たってさ、私らこうやって農家レストランなんて山古志でやらせてもらってね、全国から来るいろんな人達と出会うことが出来てね、今私らね、震災のおかげでって言ってるんよ」っておっしゃってました。
僕はそれを聞いた時に「福島はいつ震災のおかげでって言えるかわからない。でもいつか必ず震災のおかげでって言ってやるからな」と強く心に決めたんです。まさに中越から我々福島はその時にバトンをやっぱり受け取ったんだろうって思います。

丸と三角と四角図

今日は「人を紡ぐ命を紡ぐ、地域で生きるための大切なこと」というテーマで話をしようと思ってるわけですけども、ここに丸と三角と四角があります。これが動いていくと漢字一文字になります。どういう字になりますか?
そう「命」ですよね。京都の有名なお寺に行った時に、そこのご住職が毛筆に墨をたっぷり含ませた筆で丸と三角と四角を書いてらっしゃって、そのご住職はこう言ったんです。「丸と三角と四角で命は表現できる。丸と三角と四角で宇宙を表現できる」そのご住職は、宇宙は生命だし、命は宇宙なんだっていうことを言いたかったんだろうなって、それがよく伝わってきました。
今日は命、日本の熊本から岡山から福島からそのいろんな命が集まって、ひとつの素敵な時間を共有できることを、僕も本当に嬉しく思っています。

今後予測されている
災害時における避難者数

厳しいお話もしていかないといけないですね。今後予測されている災害ということで考えると、東日本の時の避難者は50万人だった、これでも今でも大変な状況があるわけでしょ。福島では数万人がまだ県内外に避難をしている。熊本地震では災害によって直接的に亡くなる方に対して、命は助かったのにそれ以外で亡くなってしまった震災関連死が直接死の倍以上になってしまっている、これは本当に大変なことですから。
熊本地震の避難者数は18万人。今後予測されている首都直下とか東京中心とした地震・災害、それから南海トラフ、広域の災害ですから和歌山とか大阪とか高知、徳島、ずっとあの一帯の人たちが今も準備をしてますけども、桁が違うわけです。東日本50万、熊本18万、これでも本当に大変だと思った、ところが首都直下は700万人、南海トラフ950万人が想定されています。どうしますかこれ。災害の研究者はこの数字に触れた時に、もう多くの人たちが、どうしよう…って恐れおののいています。でも逃げるわけにはいかない。やはり我々は今の知恵でなんとかここから亡くなる人が一人でも減るような、そういうことをやっていかなければいけないと思ってるわけです。

誰にも訪れる人生の転機

「ビッグパレットふくしま」という避難所は大規模避難所になったんです。熊本の益城の避難所よりももしかすると始めは大変だったかもしれない。およそ3000人の人達がいました。

当時そこの運営責任者をやっていたんですけども、そういう災害によって人生の転機というものが福島の人たちは起きたわけですよね。

福島第一原子力発電所事故

これが原子力発電所の当時の写真です。1号機2号機3号機4号機。今年の3月もわたしは何度か入ってますけど、この辺が高台になっていてここから直線距離で1号機まで80メートル、そこまで行ってきました。ただ長い時間はいられない、5分間ですよって言われて。まだまだ本当に事故は収束していない。つまり溶け出してしまった原子炉の燃料、デブリって言いますけど、それを取り出すことができないわけですから、ほんとうの意味での収束はまだまだ先、40年かかってって言ってるけれども、もうすでに計画が4年5年と押してます。伸び伸びになってきている。先が見えないという状況が変わっていない。

そんな中でこういう新聞記事があります。仮設で自ら命を絶ったという内容。県内では自殺をする方が本当に、年が経てば経つほどに増えていくんです。
災害直後の岩手、宮城では自殺をする人の数は増えるんですけども、その後落ち着くんです。ところが福島は、落ち着くどころかそこからどんどん自殺をする方が伸びていくんですね。なぜなのかこれは…。

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