復興支援事業 ふくしまバトン

ふくしまバトン(パネルディスカッション)

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ふくしまバトン

Panel Discussion

皆さんこんにちは。私たちふくしまバトンは福島で日本舞踊を習っている幼稚園児から大学4年生まで約40名で結成されたボランティア団体です。
私たちは毎年夏に合宿を行っていました。けれども東日本大震災が起こり、今まで使っていた合宿所が使えなくなってしまいました。そんな時におかやまバトンの皆様から声をかけていただき、 四年間にわたって岡山合宿を行いました。海水浴、バーベキュー、地元のお祭りに参加するなど、当時放射能の影響であまり外には出られず、他県から白い目を向けられて暗い気持ちだった私たちにたくさんの素敵な体験をさせてくださいました。
岡山合宿3年目の2013年、私たちはそんなキラキラした岡山バトンのような誰かを支えられる存在になりたい、笑顔を与えられる存在になりたいと思い、「ふくしまバトン」を結成しました。
4年目の岡山では福島 PRを行いました。PR =魅力を紹介することだと思い、初めは福島のいいところだけを紹介しようと思っていました。放射能のことについてはあまり触れないようにと。しかしそうではなく、福島の現状を良いところも悪いところも伝えなければ、相手により知ってもらうこと、信頼してもらうことができないことに気づき、ありのままの福島を調べて発表しました。
5年目からはおかやまバトンと〝支援するされる〟の関係ではなく、同じ支援者として繋がっていきたいと思い、受け入れていただく形の合宿を一区切りにしました。そして今までの感謝の気持ちを踊りや言葉で岡山の皆さんに発表しました。
2016年4月14日に熊本地震が発生しました。私たちはそれを見て衝撃とともに、東日本大震災の事を思い出し、自分達に何かできること被災者同士だからこそ分かち合えることがあるのではないかと思い、おかやまバトンの皆さんと共に、熊本支援事業を行いました。
しかし事業の準備をしていく過程で意見はなかなかまとまらず、震災まもない中で支援するという経験していない私たちが、果たして短い時間で何ができるのか悩んだりもしました。
話し合いを重ね、自分たちの未熟さや傲慢さを知り、できることはほんの僅かかもしれないけれど、ありのままの精一杯を表現したい、仲間一人一人が協力し合えば一つの力になるはずだと心に決めました。
現地では焼きそばの炊き出し、日本舞踊披露、茶話会などを行いました。西原村の方々と出会い交流していく中で、人の温かさ、住民同士助け合い笑顔で前を向いて生きている姿、同年代の中学生が頑張っている姿に逆に私たちが勇気とパワーをいただきました。
また自分たちの踊りを精一杯表現すれば、日本舞踊はコミュニケーションをとる一つの手段になり得ること、自分たちなりの人と寄り添う支援があることを見つけることができました。
熊本支援事業を通して、支援するされるの一方的な関係ではなく、互いが支えあっていることに気づきました。これからは人と人とがつながる活動をしていきたいと思っています。

今福島では震災が徐々に風化しつつあります。時が経ち、東日本大震災を経験したことのない子供たちがそれを知る時、単なる悲しい過去の出来事として捉えていくかもしれません。
私が教科書などで歴史を学び、戦争や阪神・淡路大震災などを知った時の感覚と同じだと思います。皆さんもそんな経験があるのではないでしょうか。
私たちはもちろん震災で悲しい思いをしました、私は当時小学6年生でした。地震が起きてずっと揺れが治まらず、怖くて怖くて「助けて!」と泣き叫んでいたことを今でも覚えています。震災直後は余震が起きるたびにどんなに小さな揺れでも、どんなに夜が深くても飛び起きて家族を起こし「逃げなきゃ!」とドアを開け、揺れが収まると安心してドアを閉めるという行動を繰り返していました。そのくらい怖かったことを今でも鮮明に覚えています。
また放射線の話を父からされても全く理解ができず、広島の原爆ドームにある写真のように被爆すると聞いた時には恐怖で頭が真っ白になり、何度も放射線って何なの?と両親に聞いたことを覚えています。
未知のものへの恐怖ほど恐ろしいものは無かったのだと思います。テレビでは津波がたくさんの命を飲み込んでいくのを見ました。あの映像も生涯忘れることはないでしょう。近くで命がこんなにも一瞬で奪われていくのは、ただただ怖かったです。
命の脆さを小学6年生なりに感じました。他にも友達が引っ越しをして行ってしまったり、卒業式ができなかったりと、悲しい思いや辛い思いもたくさんしました。

果たして震災が私たちにもたらしたものはそれだけだったのかと考えると違うと感じます。震災から得られたものが、私たちには確実にあったと思っています。
例えば水や電気、ガスの大切さに気づき、当たり前のことなんて一つもないのだと知りました。また人々が団結し食べ物を分け合ったり、近所のお兄さんが行列に並び水を運んでくれたり、ロウソクを分け合ったりもしました。そしてインフラが使えるようになると一緒に喜びました。あんな時だからこそ団結することができました。そしてその関係は今でも続いています。
震災前はあまり話すこともできなかった近所の方々と、今では「いってらっしゃい」「いってきます」と声を掛け合っています。お互いに協力すれば乗り越えていけることがあるのだと知ることができました。これは私たちが特に震災から感じたことです。

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