復興支援事業 ふくしまバトン

おかやまバトン(パネルディスカッション)

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さて、本日はおかやまバトン新メンバーが二人来ておりますので、最後に両名に、これからの自分の想いなどを話していただいて、私たちの発表を終了したいと思います。よろしくお願いします。

表と申しますよろしくお願いいたします。 東日本大震災が起きた当時、僕は中学1年生でした。その時この震災は遠い場所での出来事で、現実味もなく正直あまり関心が抱けない状態でした。月日が流れ、昨年熊本での地震が起きて、僕にとって熊本は中学の2年間を過ごした大事な場所であり、多くの友人も住んでいたので、この地震に対してはすごくショックを受けました。
なぜこれだけ感じ方が違ったのかなと考えた時に、やはりそこには僕の大事な人が住んでいるかどうかのかの違いだったのかなと思います。しかし後に、東日本大震災に関する番組などに触れるうちに少し考え方が変わってきて、熊本と同じように東北も誰かにとって大事な人がたくさん住んでいた場所なんだと気づくようになりました。 熊本だけではなく東日本に対しても何か自分にできることはないのかと考えるようになっていきました。その中で出会ったのがおかやまバトンです。ここでの活動を通して、ふくしまバトンのみなさんや、西原中学校など様々な皆さんと出会えて、また新たな見方で震災について考えることができています。
これからもこのつながりを大切にしながら、 岡山をはじめとした様々な人に対して、この僕が受け取ったものを伝え、被災地支援や防災に対する様々な意識を高めていきたいと思っています。

一回生の小野です。私は東日本大震災時には小学校6年生でした。当時は支援したいという気持ちはあまり持っていませんでした。心の冷たい人のようですが、実際その被害規模が大きすぎて、また遠くで起こっていて、正直私には分からず、自分のこととしては受け止められませんでした。しかし東北の子と仲良くなりたい、この想いだけはずっと私の中にありました。テレビなどで同年代の子供たちが心の強さを持っていたり、家族や仲間を想う気持ちを強く持っていたりするのを見て、憧れと言うとちょっと変かもしれませんが、そこに人としての魅力を感じていました。 岡山という離れた土地からずっと仲良くなりたいと思い続けてきました。しかし気持ちが強くても、一中学生一高校生には東北は遠すぎて、また能力も無くてもどかしかったです。だから今回こうやって皆さんと一緒にいることが本当に嬉しいです。

岡山は震災防災に関する意識がとても低く知識もあまりありません。私もその一人です。小さな災害もほどんど起こらないので、南海トラフのような大きな震災が来ると、本当にダメになってしまうような気がします。 私は大切な人たちを守りたいし、もし何かあった時には自分のことでだけで精一杯になるんじゃなくて、避難所の運営など何か人のために働きたいなと思っています。 だからこそたくさん学びたいし、先輩方の今までしてこられたことが、本当にかっこよくて、もうすでに先輩方のことが大好きです。

真の意味でのバトンをつなぐとは先輩のこれまで来て来られたことを真似することだけではないと思っています。7年目の支援とは何なのかという壁にも直面しています。 まだ答えは見えていませんが、やりたいことがいくつかあります。皆さんとのつながりをずっと大切にしていきたいと思っています。そのつながりの中で学び吸収したものを生かして、今度は岡山を災害に強いまちにしていきたいと思っています。 東日本大震災・熊本地震を風化させないというスローガンだけを掲げるのではなくて、次の行動に移していく。今回このようなプロジェクトに参加させていただいて、大変光栄に思います。以上です。

荒木:ありがとうございました。 岡山にできること。先ほどの天野先生のお話にもありましたけれども、岡山は西日本で有数の東北の方が避難されている場所なんですけれども、そこで何が出来るのかというところも含めてですね、考えることがたくさんあるのかと思います。

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